Orpheus behind the wire 鉄条網のむこうのオルフェウス(Hans Werner Henze 作曲)/ 混声合唱とピアノのための組曲「五ねんがすぎて」(西下航平 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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Orpheus behind the wire(鉄条網のむこうのオルフェウス)

●Orpheus behind the wire(鉄条網のむこうのオルフェウス)
作曲:Hans Werner Henze (ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ)
出版社:Schott
声部:SSSAAATTTBBB
伴奏:ア・カペラ
言語:英語(副言語 ドイツ語)
時間:17分

今回ご紹介するのは、ドイツの作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926–2012)による無伴奏合唱作品Orpheus behind the wire《鉄条網のむこうのオルフェウス》です。

テクストはイギリスの劇作家エドワード・ボンド(1934–)の詩で、古代ギリシャ神話からテーマの骨子を受け継ぎながらも20世紀以降の政治・社会状況を大胆に照射した内容。ナチス・ドイツ下で青春を送り、戦後、西ドイツに残る保守的傾向を嫌いイタリアへ移住したヘンツェは、一貫して「音楽で時代に抗う」姿勢を貫き、本作にもその姿勢が色濃く反映されています。

本作は全5部からなり、各曲で最大12声にまで細分化される複雑なポリフォニーが絶え間なく展開されます。全5曲のそれぞれが、すべて異なる声部編成であるのもかなり特徴的。書法としては、無調であったりセリー的な手法を用いながらも、それを独自の厳粛な語り口と劇的な表現のうちに見事に統合することで、ギリシャ神話における悲劇的物語と、現実世界における抑圧や暴力がオーバーラップして眼前に浮かび上がってくるような作品です。

本作の「全曲初演」は1985年9月、ジョン・オールディス指揮BBCシンガーズによるサウサンプソン現代音楽祭におけるものですが、終曲にあたる「Orpheus」がそれより以前に、アルゼンチン軍事独裁政権による行方不明者への連帯集会においてケルン音楽大学合唱団により演奏されるなど、実際的な政治のシーンにおいて楽曲が練り上げられてきたという背景があります。

この作品が2025年の私たちにとってどのように響きうるか、個人的に非常に興味を持っています。(柳嶋耕太)

終曲「Orpheus」
https://www.youtube.com/watch?v=nI9ah-LSHC4

柳嶋 耕太 (やなぎしま こうた)

【筆者プロフィール】
柳嶋 耕太 (やなぎしま こうた)
2011年に渡独。ザール音楽大学指揮科卒業。在学中、ドイツ音楽評議会・指揮者フォーラム研究員に選出、同時にCarus出版より"Bach vocal"賞を授与される。以来、ベルリン放送合唱団をはじめとするドイツ国内各地の著名合唱団を指揮した。2017年秋に完全帰国。vocalconsort initium、室内合唱団vox alius、横浜合唱協会、Chor OBANDESをはじめとする多数の合唱団で常任指揮・音楽監督を務める。合唱指揮をゲオルク・グリュン、指揮を上岡敏之の各氏に師事。

 

日本の合唱作品紹介

指揮者、演奏者などとして幅広く活躍する佐藤拓さん、田中エミさん、坂井威文さん、三好草平さんの4人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

混声合唱とピアノのための組曲「五ねんがすぎて」

●混声合唱とピアノのための組曲「五ねんがすぎて」
作曲:西下航平

作詩:谷川俊太郎
出版社:カワイ出版
定価:1,870円 (税込)
声部:SATB
伴奏:ピアノ伴奏
判型:A4/48頁
ISBN:978-4-7609-4849-9

現在活躍する若手作曲家の多くが、自身も合唱団に所属して歌う、もしくは指揮者・ピアニストとして演奏に関わるなど、合唱の現場に精通していて、楽譜を読んでいても、歌い手の心理をよく理解した音を用意しているな、とワクワクさせれることが多いと感じています。今回ご紹介する西下航平さんもまた、合唱団の歌い手やピアニストとして多くの演奏活動をしながら、合唱だけでなく器楽でも多くの作品を精力的に発表しておられます。
『五ねんがすぎて』は第4曲の「すきとおる」がまず2017年に合唱団ひぐらしによって初演され、2024年に同団で「西下さんの組曲を初演したいね」という話になったときに、指揮者の野本立人さんから「すきとおる」を入れた組曲を提案されたといいます。同曲は無伴奏作品であったため、西下さんは当初全曲無伴奏での作曲を構想しましたが、野本さんからのアドバイスにより、他の4曲はピアノを伴った楽曲となりました。
詩は百瀬恒彦が5年の歳月をおいて撮影した12組の子ども、それぞれのために谷川俊太郎が詩を書き下ろしてつくられた「子どもの肖像」という詩集から採られています。
西下さんは「すきとおる」を作曲した当時にはまっていた山下達郎の「パレード」を無伴奏混声合唱曲に落とし込むとどうなるか、という試みに基づいて作曲し、それを着想を得て今回の組曲全体を70~80年代の”シイティポップ”的なもの、そしてそれ以降の”渋谷系”の音楽をイメージしながら作曲をしたのだそうです。
各曲をそのイメージとして挙げられている作品と聞き比べてみると、なるほど、と感じる部分はあるものの、それを知らずして聞くといい意味で”単なる混声合唱曲”として完成されていて、ポップスを合唱編曲したのとも、合唱をポップスのテイストで書いたのともちがう、ポップスの語法を意識しながらも、クラシックのそれに片足は置き続けた、絶妙なバランスの曲に仕上がっています。

1.五ねんがすぎて
松原みき「真夜中のドア」とキリンジ「雨は毛布のように」のイメージ。クラシックの常套句からは離れ流ことを意識し、曲の始まりはⅠの和音ではなく九の⾳から始める。ヴォカリーズではバックコーラスをイメージさせつつ、対位法的な技法も混ぜ、ポップスのなぞり書きにならないように意識されている。

2.わらう
大貫妙子「都会」のイメージ。組曲では”合唱らしい”作品で、”限りなく合唱曲に近いポップス”として書いた曲。子どもが母親の目線で自分自身を俯瞰しているかのように書かれた詩に合わせるように、曲も独特の浮遊感を感じさせる。

3.なくぞ
ピチカート・ファイヴの「大都会交響楽」やフリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」などのイメージ。組曲中でもっともテンポが速い。”いやなことあったらすぐなくぞ”というコミカルな脅しが心地よく迫ってくる。

4.すきとおる
山下達郎「パレード」のイメージ。「すきとおる」色彩感を透明感溢れる和声で表現している。ポップスを合唱に落とし込むという組曲の手法のきっかけになった、その手法の習作というよりも秀作というべき完成度の高い1曲。

5.おおきくなる
亜蘭知子「I’m in Love」と paris match「水の時計」のイメージ。前曲からの調性的な繋がりも意識され、表記こそないがataccaのように演奏することも想定されていて、詩の内容、音楽的なつながりともある種の”アンサーソング”といえる。知らなければ単なる混声合唱組曲として楽しめ、発想の元になったポップスと聴き比べると前奏のビートから”なるほど”と感じさせられる。
初演の合唱団ひぐらしによる演奏がYouTubeにアップされているので、まずは合唱曲のみを、つづいて挙げられているポップスの楽曲との聴き比べをして、何度も味わってほしい作品です。
終曲の中盤に置かれているテノールソロは西下さん自身によるものなのでそこにもぜひご注目を。(三好草平)


https://www.youtube.com/playlist?list=PLGkhljk7SM1jIGGF-uQSe9tdaYnhs_bPE

三好草平(みよし そうへい)

【筆者プロフィール】
三好草平(みよし そうへい)
1979年埼玉県生まれ。大学卒業に合わせ合唱団を立ち上げ指揮活動を開始。現在、東京・埼玉・富山で十数団体の指揮を務めている。
同世代の作曲家への委嘱や演奏会のプロデュース、ステージマネージャー、司会など合唱に関わる様々な活動を行っているほか、合唱アニメ「TARI TARI」(2012)、アニメ「ヴァチカン奇跡調査官」(2017)、アニメ映画「リズと青い鳥」(2018)、映画「コーヒーが冷めないうちに」(2018)、TVドラマ「トップナイフ」(2020)、TVドラマ「ドクターホワイト」(2022)、アニメ映画「アリスとテレスのまぼろし工場」など多数の作品の音楽制作に協力している。
東京都合唱連盟事務局長。日本合唱指揮者協会会員。アニソン合唱プロジェクト「ChoieL」監修。小さな夜の音楽会 主宰。