Näcken 水の精(Selim Palmgren 作曲)/ 間宮芳生追悼・こどもたちへのまなざし
世界の合唱作品紹介
海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●Näcken(水の精)
作曲:Selim Palmgren (セリム・パルムグレン)
出版社:Sulasol(曲集収録)
声部:SATB
伴奏:ア・カペラ
言語:スウェーデン語
本日ご紹介する「Näcken」は、Selim Palmgren セリム・パルムグレン(1878-1951)による民謡の編曲作品です。パルムグレンは、フィンランドの作曲家・ピアニスト・指揮者で、Toivo Kuula (トイヴォ・クーラ)やLeevi Madetoja (レーヴィ・マデトヤ)と同時代に活躍しました。作品の多くはピアノ曲であり、作品の中にスカンジナビアの民謡的要素が活用されていることが知られています。
Näcken (ナッケン、ネッケン)は、ヴァイオリンの美しい音色で女性や子供を魅了し、川や池で溺れさせようとする男の水の精霊。ちなみに、Näckenはスウェーデン語で、フィンランド語ではNäkki (ナッキ)です。いわゆる忌み嫌うような悪魔的な存在ではなく、スカンジナビアに伝わる伝統的な精霊のようです。水辺つながりで、日本でいうところの河童に近いでしょうか・・・曲調は、絵本を開くような親しみやすさと軽さがあり、かつ最後はちょっと怖い、というようなストーリー性のある小品となっています。お話の概要は以下です。
ある島に、3人の愛らしい娘がいて、1人目は親切で、2人目は美しく、3人目は絶対に結婚はしないと言い張っていました。そこにNäckenが来て、3人目の娘を連れ去り、水辺に追いやります。娘は、手綱がきつくしめられ痛いと訴えますが、最後は墓地に追いやられ、以降誰も姿を見ていません。
元のメロディーは、1オクターブ間を軽快に上がり下がりするひょうきんな雰囲気で、そのシンプルな旋律がストーリーとともに展開します。全体の構成はA-B-A’-codaの形式で、同じメロディーが場面ごとに変奏していく構造。冒頭Aは、娘たちの紹介シーンで、ソプラノのメロディーに和声がつけられ淡々と進みます。Bは、メロディーが男声になり、Näcken登場!テナーとベースがオクターブ配置で、かつppでするりするりと娘に近づいてきます。不気味です。突如fになり、stringendo(急き込むようにだんだん速く)がかかることで、娘は水辺に連れて行かれ、大変なことになった様子が描かれます。曲は”大地が割れた”というテキストでffへ。娘は心配そうに、そんなに荒く走らないで、手綱がきつくて痛いと言いますが、Näckenはお構いなし。最後はテンポがゆったりとなり、ppで、墓地に追いやられた、と娘の死を暗示するように曲は終わります。
音の特徴としては、メロディーのオクターブの多用と、段落の最後に必ずついている「med all ära (あらゆる名誉を以って)」という言葉につけられた美しい和声的終止が挙げられます。古典的な和声法では、オクターブでずっと動くことは連続8度と言って禁則ですが、民謡ではむしろメロディーの動きや厚みが増し加わって、面白い効果を出しています。そのライン的な動きの後に和声で終止すると、そこまでがどんな場面だったのか、また次に何が来るのかといったワクワク感が提供されているように感じます。
テキストがスウェーデン語なので、フィンランド語の作品とは一味違った言葉の抑揚があり、リズミカルで楽しい作品です。本作は、Sulasolから出版されている『SekakuorolaulujaⅡ』に収録されています。また、2月24日(月・祝)に開催されるNoema Noesis仙台公演「雲の中に虹を置く」にて演奏予定です。「精霊と聖霊」をテーマとしたコンサートで、ゲストに鯨井謙太郒さんをお迎えし、Murray Schaferの「MAGIC SONGS」をダンスとのコラボレーションでお届けします。ぜひ会場でお聴きいただければと思います。仙台でお待ちしています!(堅田優衣)

【筆者プロフィール】
堅田 優衣(かただ ゆい)
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業後、同研究科修了。フィンランド・シベリウスアカデミー合唱指揮科修士課程修了。2015年に帰国後は、身体と空間を行き交う「呼吸」に着目。自然な呼吸から生まれる声・サウンド・色彩を的確にとらえ、それらを立体的に構築することを得意としている。第3回JCAユースクワイアアシスタントコンダクター、Noema Noesis芸術監督・指揮者、女声合唱団pneuma主宰、NEC弦楽アンサンブル常任指揮者。合唱指揮ワークショップAURA主宰、講師。また作曲家として、カワイ出版・フィンランドスラソル社などから作品を出版している。近年は、各地の伝統行事を取材し、創作活動を行う。
日本の合唱作品紹介
指揮者、演奏者などとして幅広く活躍する佐藤拓さん、田中エミさん、坂井威文さん、三好草平さんの4人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

間宮芳生追悼・こどもたちへのまなざし
こんにちは、佐藤拓です。
昨年の12月11日、作曲家の間宮芳生さんが亡くなられました。95歳ですから大往生といえるでしょうが、日本の音楽界を牽引してきた昭和一桁(1930年前後)生まれ世代がまた一人この世を去ることとなり、寂しさを禁じえません。
日本の民謡・民俗芸能に音楽の源泉を求め、「合唱のためのコンポジション」シリーズをはじめとする先鋭的な合唱作品の創作で知られる間宮さんですが、一般的には「難しい作品を書く人」と思われているかもしれません。しかしその作品の中には美しい旋律が際立つもの、ユーモラスで可愛らしいもの、シンプルながら暖かいメッセージのこもったものがいくつもあります。今回はそれらの中から、間宮さんが次世代を生きる子どもたちのために残した3曲の小品をご紹介します。
①児童合唱のための「アテ ネツィック」
https://shop.zen-on.co.jp/item/detail/718766/
C.W.ニコルの英語詩をテキストとして、国際コダーイ協会の委嘱により1978年に作曲されました。ディヴィジョンのない3声のために書かれたアカペラ作品で、この特徴的なタイトルは北米イヌイットの言葉で「気をつけろ、アザラシくん」という意味です。アザラシとその天敵であるシロクマの駆け引きを、「アイヤー!」(シロクマ)「ロロロロ…」(アザラシ)などのナンセンスシラブルをまじえながらコミカルに、紙芝居風に描いています。シロクマのセリフではのそのそと、アザラシのセリフはヘミオラを含む3拍子で小忙しくとキャラクターもはっきりと対比されています。
そのコミカルさの裏には、イヌイットの或る部族において集落内で喧嘩があった際に"詩のうまさ"で勝ち負けを決める、という不思議な習慣が織り込まれています。意見が衝突した時に相手を攻撃し、互いに傷つけあう現実社会の争いの醜さを暗に揶揄しているようでもあります。
演奏時間は6~7分ほど。バルトークやコダーイへのオマージュとアジア的な民俗要素が折衷された傑作だと思います。
②混声/女声合唱とピアノのための「空の向こうがわ」
『リーダーシャッツ21 日本のうた篇』に所収(女声版はPDF販売あり)
この作品は千葉県立千葉東高等学校の創立50周年記念として委嘱され、1991年に作曲・初演されました。間宮さんがある日見た夢(航海の果てに見たことのない大陸に到着し、そこで不思議な見た目の素敵な人々と出会った)をもとに、バリトン歌手の友竹正則さんが作詩をしました。薔薇の花粉になり、蜜蜂の後ろ脚にくっついて「もう一つの地球」に至る、というストーリーはアメリカ先住民の伝承からの発想で、なんともファンタジーにあふれたものです。しかし、実はその根底には文明社会の疲弊と自然破壊への切実な危機感があり、寓話の形式を借りた一種の警鐘であるとも言えます。
この曲の第3節では「もう一つの地球」の様子が描かれます。そこには装甲車も、動物園も、文字もない。つまり戦争がなく、人間と動物の境目がなく、そして国家や民族の境もないのです。我々の住む現実世界とは真逆の、原始的で平和な世界のように見えます。「そんな未来を、この地球の人間はつくれるだろうか。」という間宮さんの問いかけには、子供たちの未来を決して暗澹たるものにしてはいけないという決意も感じられます。
③「うたの実」
https://www.at-elise.com/elise/GADPOT00346/
2019年5月19日、絵本作家で詩人の本間ちひろさんの企画で開かれた「間宮芳生の歌をうたう会」において、本間さんが書いた「平和」という詩をもとに、間宮さんが加筆・作曲した可愛らしい小品です。緑の葉っぱ一枚分、一人一人の小さな声がやがてうたの実を結ぶ木となって、「1000年さきのこどもたち」がその枝にのぼって遊んでいる。間宮さんは人間世界の強欲や横暴に強い抗議の心を持ちながら、この歌の中には決して鋭い刃を仕込みませんでした。自身のうたが広まり多くの人に愛唱されることで、平和で美しい未来が訪れることを心から願っていたのだろうと思います。
ユニゾンですが、歌のメッセージを鑑みればソロではなく大勢で歌われるべき曲でしょう。ハモっていなくとも、複数人がそれぞれの声を持ち寄って合わせることもまた「合唱」の一つの形といえます。
初演時のレポートと動画を以下のサイト詳しく見ることができます。
https://ontomo-mag.com/article/report/mamiya-utaukai-vol01/
間宮さんは、音楽における最も大切なものは「精神の明快さと優しさ」であると語っています。間宮さんが民謡に深くのめり込み、その中から見出したエッセンスがそれであったのですが、私はこれらの曲の中に特に色濃く間宮さん自身の「精神の明快さと優しさ」を感じています。ぜひとも多くの皆さんに歌い継いでいっていただきたいと切に願っております。

【筆者プロフィール】
佐藤 拓(さとう たく)
岩手県出身。早稲田大学第一文学部卒業。在学中はグリークラブ学生指揮者を務める。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。
アンサンブル歌手、合唱指揮者として活動しながら、日本や世界の民謡・民俗歌唱の実践と研究にも取り組んでいる。近年はボイストレーナーとして、自身の考案した「十種発声」を用いた独自の発声指導を行っている。Vocal ensemble 歌譜喜、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、合唱団ガイスマ等の指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。(公式ウェブサイト https://contakus.com/)