KYRIE キリエ(Jan Sandström 作曲)/ 女声合唱のための「四つの沖縄の歌」(中村透 作曲)
世界の合唱作品紹介
海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●KYRIE(キリエ)
作曲: Jan Sandström (ヤン・サンドストレム)
出版社:Walton Music
編成:SSAATTBB
伴奏:無伴奏
言語:ラテン語
時間:5分
人々が声を合わせて歌う「合唱」は、世界各国に様々な形で存在しますが、西洋クラシック音楽において、その起源はグレゴリオ聖歌であると言われています。9世紀ごろから単旋律のグレゴリオ聖歌がミサで歌われるようになり、時代とともに徐々に声部が増え、多声部の合唱音楽に発展していきました。「Kyrie」はギリシャ語で「主よ」を意味し、時代を超えてたくさんの作曲家がミサ曲やレクイエムの中で作曲しています。本日ご紹介するスウェーデンの作曲家、Jan Sandström(1954-) の「KYRIE」は、歌詞の内容から鑑みて、珍しいアプローチの作品と言えます。
Kyrie eleison; Christe eleison; Kyrie eleison.
主よ 憐れみたまえ / キリストよ 憐れみたまえ / 主よ 憐れみたまえ
この短い祈りがテキストですが、当然ながらお祈りするのは人間です。地上にいる私たちが、天にいる神様に祈るのですから、モーツァルトやフォーレなどの有名なキリエで描かれているように、切実で厳粛な曲調になるのは納得できます。一方、8声で書かれた本作は、非常に静的で、一貫して清廉な雰囲気を漂わせています。最初の”Kyrie eleison”は、天から降り注ぐようなきらめきと開放感にあふれ、音の波に体が包まれるようです。ヨーロッパの教会で2階のバルコニーから聞こえてくる合唱のよう、と言ったらいいでしょうか。ppでDのオクターブがソプラノとベースで持続され、その中でゆったりとアルトがたゆたいながら、美しいメリスマ(1音節に対して、2つ以上の音符を用いること)を歌います。G-durのようですが、GAHCDEのみが使われ、はっきりと和声感を出さないことで浮遊感を表現しています。同じようなモティーフを、少しずつ音を変化させながら繰り返し、3回目で初めてFis(G-durの導音)が登場。それをきっかけにa-mollの半終止(Ⅴ度の和音)が引き出され、動きが止まります。
続く”Christe eleison”は、Poco piu mosso(少し速く)になり、ソプラノソロがつぶやくようにメリスマによるメロディーを歌います。ソロの後はtuttiになり、女声はなんとか丘を登るような長い上行形、その下では、同じところでずっとループしているような男声によって突き上げられるように、fまでクレッシェンドが描かれます。冒頭と同じような浮遊感はありながら、この部分は重力を感じ、地上にいる人間の様子を想起させます。一瞬の静寂の後、今度は男声のソロがソプラノと同じメロディーを歌いますが、そこに付けられているのは、動きのない無機質な和声です。
最後の”Kyrie eleison”は、Meno mosso(それまでより遅く)になり、メリスマ的な動きは息をひそめ、ホモフォニーによって歌われます。迷いの中で平安を得るような感情の機微を、和音の変化で感じさせています。最後は、天に向かうように上行形となり、pからのdim.でクラスターによる音の色彩が空気に放たれて終わります。
Jan Sandströmの「KYRIE」の浮遊感、開放感は、人間的ではなく、むしろ神的な雰囲気を醸し出していることから、天から地上に降りられたイエス様の視点で描かれたのではないでしょうか。そこから感じることは、私たちはすでに許され、神様から祝福されている存在であるというメッセージです。本作は、来月9月16日に名古屋で行われるNoema Noesis10周年記念コンサート「ARCHE- 根源」にて演奏されます。西洋クラシックの合唱音楽は、神様への祈りから発し、今日の自由な表現まで発展してきました。同時に、世界には労働歌、遊び歌、その土地に伝わる神々への祈りの歌など、様々な合唱も存在します。そのどれもが私たちに力を与え、生きることへの励みとなってくれます。コンサートプログラムは、本作「KYRIE」から、中村哲医師をテーマとした「Dona nobis pacem- Water, not weapons」までの典礼の形式の中で、北欧とアジアの多彩なスタイルの作品によって構成されています。一つの見方だけではなく、多面的な視点を持って、私たちの根源を探ることができればと願っています。ご都合がつく方は、ぜひ会場で体験してください。お待ちしています!(堅田優衣)
【筆者プロフィール】
堅田 優衣(かただ ゆい)
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業後、同研究科修了。フィンランド・シベリウスアカデミー合唱指揮科修士課程修了。2015年に帰国後は、身体と空間を行き交う「呼吸」に着目。自然な呼吸から生まれる声・サウンド・色彩を的確にとらえ、それらを立体的に構築することを得意としている。第3回JCAユースクワイアアシスタントコンダクター、Noema Noesis芸術監督・指揮者、女声合唱団pneuma主宰、NEC弦楽アンサンブル常任指揮者。合唱指揮ワークショップAURA主宰、講師。また作曲家として、カワイ出版・フィンランドスラソル社などから作品を出版している。近年は、各地の伝統行事を取材し、創作活動を行う。
日本の合唱作品紹介
指揮者、演奏者などとして幅広く活躍する佐藤拓さん、田中エミさん、坂井威文さん、三好草平さんの4人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。
●女声合唱のための「四つの沖縄の歌」
作曲:中村透
出版社:カワイ出版
価格:1,650円(税込)
声部:SSA
伴奏:ピアノ伴奏、無伴奏混載
判型:A4判・36頁
ISBN:978-4-7609-5444-5
東北生まれの私にとって、沖縄の言葉を歌うということは不思議な感覚とともに親近感があります。ひらがなで読めても、パッとは意味が分からないことがたくさんあります。でもその響きはどことなく優しくゆったりしていて心地よいのです。
中村は楽譜の冒頭にこのような言葉を残しています。
おきなわのことばはまろやかだ。
(途中略)
五感をいっぱいにひらき、からだで感じたすなおな思いが
そのまんま音声となったのがおきなわのことばにちがいない。
だからぼくはおもう。
もっと歌に近いところにあるのではないかな・・・・と。
北海道生まれでありながら沖縄を愛し、そこで生涯を捧げた作曲家、中村透は沖縄の民謡やわらべ歌を使った作品を多く残しています。そこには沖縄の人や自然、そして言葉への愛がふんだんに注ぎ込まれています。楽譜の前半には民謡と童謡を題材の女声ア・カペラ3部合唱、後半にはピアノを伴った沖縄のうたのアレンジが4曲収録されています。
☆ア・カペラ作品
1 子守唄
「月の美しいのは十三夜、乙女のかわいいのは十七歳」と歌う八重山の子守唄「月ぬ美しゃ」。繊細なヴォカリーズが静かで妖艶な月の夜を描きます。
2 遊び歌(沖縄本島の子ども歌)
「じんじん」(蛍)、「ちんなんもう」(蝸牛)、「牛もーもー」、「こーじゃー馬ぐぁ」と、生き物や自然をうたったわらべうたメドレー。作曲家の遊び心が各所に見え隠れするコミカルな作品。
3 別れの歌
原曲は宮古島の民謡「なり山アヤグ」。韻を踏んだ美しい旋律で知られ、海を越えて旅立つ夫の無事を願う妻の歌です。中間部では旋律がポリフォニックに絡み合い大きな波に乗って祈りが届けられるようです。
4 舞の歌
沖縄民謡「海のチンボーラ(巻貝)」が「かちゃーしー」のリズムにのって、最後は踊りや掛け声ありの大団円です。
曲集後半に収められている曲は「花」、「芭蕉布」、「てぃんさぐぬ花」、「花ぬ風車」など馴染みのある歌で、原曲に近い歌のアレンジにドラマチックなピアノ伴奏が添えられていて、単曲でも演奏できるようになっています。
私自身、この曲集に取り組んでいる最中ですが、中村透さんが見ていた沖縄の風景を一緒に眺めているような、またお会いできたような気持にさせてくれる特別な曲集です。
Div.のない女声三部合唱で中高生のアンサンブルでも取り組める難易度です。少人数の女声合唱団でもきっと楽しめると思います。(田中エミ)
慶應義塾ワグネル・ソサィエティー女声合唱団 第72回定期演奏会の演奏がありますので参考にご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=zMCfRZqKhmA
【筆者プロフィール】
田中エミ (たなか えみ)
福島県出身。2003年、国立音楽大学音楽教育学科卒業。大学では、松下耕氏ゼミにて合唱指揮と指導法を学ぶ。また、同時期より栗山文昭のもと合唱の研鑽を積む。TOKYO CANTAT 2012「第3回若い指揮者のための合唱指揮コンクール」第1位、及びノルウェー大使館スカラシップを受賞し、2013年にノルウェーとオーストリアに短期留学。2022年、武蔵野音楽大学別科器楽(オルガン)専攻修了。現在、合唱指揮者として幅広い世代の合唱団を指導。21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」会員。
(公式サイト https://emi-denchan.com/profile/)