Dona nobis pacem -Water, not weapons In honor of Dr.Tetsu Nakamura(堅田優衣 作曲)/ 男声合唱組曲「心の決めたところへ」(上田真樹 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●Dona nobis pacem -Water, not weapons
In honor of Dr.Tetsu Nakamura
作曲:堅田優衣
出版社:Sulasol
声部:SSAATTBB
伴奏:無伴奏
言語:ラテン語、日本語(ローマ字)
時間:11分

「キリスト教徒でない日本人が祈りのための教会音楽をうたうこと」の是非については、SNS上もふくめて少なくない方々がこの答えのない質問に頭を悩ませたことがあるように見受けられます。ひとつの切実な問いだと思います。

筆者は2012年夏から2017年の夏までの5年間、ドイツ・ルードヴィヒスハーフェン市のなかのオッガースハイムという小さな村のカトリック教会で180年以上の歴史を持つ教会聖歌隊の指揮者をつとめていました。その当時も上記したような疑問を少なからず抱えていて、なかばコンプレックスのようなものであったのですが、それは、ある日の最高齢のアルトメンバーの方が伝えてくださったひとことで、心の中ですっと溶け落ちていったのでした。
──もし平和のうちに過ごしていきたいという気持ちがあなたの中にあるのならば、それ以外に必要なことはなにもないわ。
 
主日ミサの通常文をしめくくる「Dona nobis pacem (われらに平和をお与えください)」ということばを足がかりにした堅田優衣さんの本曲は、礼拝のために書かれたわけでないので狭義の「教会音楽」には含まれないまでも、同じ思いを深く共有し、かつ異文化を繋ぐ心優しい仲介者としての独自の眼差しをもった作品です。

テクストには、ミサ通常文Agnus Deiから最後の一文「Dona nobis pacem」、詩篇23番より「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。」の一節が用いられ、最後は宮崎民謡の刈干切唄で締め括られるというとてもクリエイティブな構成。
というのも本作品は、アフガニスタンで用水路の建設に携わった中村哲医師にインスパイアされ、アフガンの干魃地に水がゆきわたるまでのストーリーとして堅田さんが素晴らしい感性で再構成したものなのです。
冒頭、中央アジアの乾いた大地を示すようなmi-fa-mi-reの音程の揺らぎをもった低声のドローンと、助けを求める悲鳴のような女声のヴォカリーズ。中盤ではアフガニスタン民謡「Mola momad Jan」をテーマにしたリズミカルなセクションで、用水路建設の様子をまるでタイムラプス動画で眺めるような表現。トランスミュージックのように執拗に繰り返されるテーマが極まるところで、Fisを主音とする鮮やかで熱のこもったハーモニーでDona nobis pacemが歌われます。そしてそれはほとんどシームレスに、同じFisを軸においた旋律で展開する刈干切唄に切り替わり、会場をあたたかく包み込んだところでフェードアウトするように曲を終えます。

この音楽が示している物語は果たして端的な「ハッピーエンド」なのかは突き詰めれば断言できることではないかもしれません。また、昨今の世界情勢のなかで苦しむ人たちのことを考えたとき、それでも音楽するということに対して迷いが一切ないというと嘘になるかもしれない、と思ってしまう自分がいます。もちろんそれでもやるのですが。

最後に、中村哲医師のことばから一節を引用して本稿を終わります。

──私たちが己の分限を知り、誠実で有る限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

楽譜はパナムジカでお求めいただけます。(柳嶋耕太)

柳嶋 耕太 (やなぎしま こうた)

【筆者プロフィール】
柳嶋 耕太 (やなぎしま こうた)
2011年に渡独。ザール音楽大学指揮科卒業。在学中、ドイツ音楽評議会・指揮者フォーラム研究員に選出、同時にCarus出版より"Bach vocal"賞を授与される。以来、ベルリン放送合唱団をはじめとするドイツ国内各地の著名合唱団を指揮した。2017年秋に完全帰国。vocalconsort initium、室内合唱団vox alius、横浜合唱協会、Chor OBANDESをはじめとする多数の合唱団で常任指揮・音楽監督を務める。合唱指揮をゲオルク・グリュン、指揮を上岡敏之の各氏に師事。

 

日本の合唱作品紹介

三好草平さんと坂井威文さん

「今月のピップアップ」コーナーに、三好草平さんと坂井威文さんのお二人が、新たに執筆者として加わります。お楽しみに!!

指揮者、演奏者などとして幅広く活躍する佐藤拓さん、田中エミさん、坂井威文さん、三好草平さんの4人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

男声合唱組曲「心の決めたところへ」

●男声合唱組曲「心の決めたところへ」
作曲:上田真樹
出版社:全音楽譜出版社
価格:1,980円(税込)
声部:TTBB div.
伴奏:ピアノ伴奏
時間:16分
判型:全音判/52頁
ISBN:ISBN978-4-11-719384-8

はじめまして。今回より日本の合唱作品紹介の執筆陣に加わりました、三好草平と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今回ご紹介するのは今月15日に刊行されたばかりの新刊、男声合唱組曲『心の決めたところへ』です。この作品が初演されたのは昨年12月の早稲田大学グリークラブ 第70回定期演奏会です。最終の第3ステージで初演をされたのですが、私はこの演奏会で第2ステージの客演指揮者を務めており、当日の演奏を生で聞かせてもらいましたが、コロナ禍で大きく人数を減らしたにも関わらず、早稲グリらしくとても熱い演奏に心を躍らせたことをよく覚えています。
作詩は銀色夏生さん。そう、早稲グリ×上田真樹×銀色夏生といえば、誰もが思い出す名曲『終わりのない歌』(2011)と同じ座組みです。あの時の早稲グリは上田さんに「恋の歌が歌いたいです!」と訴え、結果あのほろ苦くも一途な作品が生まれました。
今回、早稲グリから提示されたテーマは”失われた青春時代”でした。コロナ禍真っ只中を過ごし、合唱をすることそのものが憚られ、制限された日々。4年という限られた時間を過ごす大学生にとって、その時間がもたらした影響は計り知れません。この組曲はそうした日々を乗り越え、前へと進む彼らへテーマソングであると同時に彼らへの応援歌なのだと思います。
銀色さんのまっすぐな言葉を、熱い上田節で歌い上げる、と言われたらほら、なんだか歌ってみたくなってきませんか?

1.未踏の国
Dドリアで描き出されるキラキラと眩いながらもどこか不安定な世界は、さしずめコロナ禍によって奪われてしまった時間だろうか。対照的にD-durで力強く語られるのは「僕たちの夢」。だがそれも「終わったのだろうか」と、どこか不安げな言い方だ。それらの間をふらふらと行き来するのは、まさにあの頃の学生たちの置かれた状況なのだろう。

2.小さな迷い
不安や焦り、それらがもたらす迷いが、16分の7拍子で印象的に描かれる。しかし「最後に心の決めたところへ行けばいい」と語る時はとても力強い3拍子だ。この曲もまたa-mollとEs-durの二つの調性を行き来する。そして最後、一度はピカルディ終止によってA-majorに終止するかと思わせて、空虚五度へと移行するそれは、この曲のもつ迷いをとても象徴しているように思われる。

3.むずかしいけど
この曲は3篇の詩で構成されている。最初の詩は直面している問題を、4拍子で一歩ずつ踏み締めるように語る。2つ目の詩の前半は”踊り”をキーワードに軽やかだがやや物悲しいワルツが歌われ、後半から3つ目の詩にかけてその足取りは確かに前向きなものに変わっていく。そうして結部ではF-durの明るい響きの中で、コロナ禍の中で、そしてコロナ禍を超えて出会った仲間への感謝を歌う。

4.卒業
月日はめぐり、様々なことを乗り越えてやってきた最後の「桜の季節」。これまでの不安を振り払うようにしながら前へと向いていく。
「夢」をきっかけに引用される第1曲のD-dur。最後は組曲タイトルでもある第2曲の「心の決めたところへ」という歌詞を挿入し、力強く結ばれていく。

終曲の巧みなパッチワークは、『終わりのない歌』を思い起こさせます。初演時にはその『終わりのない歌』の終曲「君のそばで会おう」をアンコールで演奏していました。
また、今年3月の東京医科歯科大学混声合唱団の演奏会では、『終わりのない歌』のアンコールとして、『心の決めたところへ』の終曲「卒業」の混声版を初演させていただきました。
同じ座組みから生まれた2曲はやはりとても相性がいいことを実感しています。

初演演奏はYouTubeにてお聞きいただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=F6-mKvzK7t8

実演を生で聞きたい!という方は2024年3月17日に会津風雅堂にて行われる合唱団お江戸コラリアーずの演奏会にて再演が予定されていますので、ぜひ足をお運びください。(三好草平)

三好草平(みよし そうへい)

【筆者プロフィール】
三好草平(みよし そうへい)
1979年埼玉県生まれ。大学卒業に合わせ合唱団を立ち上げ指揮活動を開始。現在、東京・埼玉・富山で十数団体の指揮を務めている。
同世代の作曲家への委嘱や演奏会のプロデュース、ステージマネージャー、司会など合唱に関わる様々な活動を行っているほか、合唱アニメ「TARI TARI」(2012)、アニメ「ヴァチカン奇跡調査官」(2017)、アニメ映画「リズと青い鳥」(2018)、映画「コーヒーが冷めないうちに」(2018)、TVドラマ「トップナイフ」(2020)、TVドラマ「ドクターホワイト」(2022)、アニメ映画「アリスとテレスのまぼろし工場」など多数の作品の音楽制作に協力している。
東京都合唱連盟事務局長。日本合唱指揮者協会会員。アニソン合唱プロジェクト「ChoieL」監修。小さな夜の音楽会 主宰。