Vocalīzes ヴォカリーズ(Jānis Ivanovs 作曲)/ 男声合唱組曲「わきめもふらず。ジグザグに。」(信長貴富 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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Vocalīzes(ヴォカリーズ)

●Vocalīzes(ヴォカリーズ)
作曲:Jānis Ivanovs(ヤーニス・イヴァノフス)
出版社:Musica Baltica
声部:SATB div.
伴奏:無伴奏
言語:ヴォカリーゼ
時間:60分

 公園が紅葉で色づき始めたかと思えば、雪がちらつくリガの街。低い空と冷たい風が肌にかみつく、それは過ぎ去った太陽の季節への別れを思い起こさせます。この頃に、紅葉に染まった公園を散歩すると、ヤーニス・イヴァノフスの小品集ヴォカリーズから、「Rudens dziesma(秋の歌)」が聴こえてきます。今日は、そのイヴァノフスの小品集ヴォカリーズを紹介します。
 ヤーニス・イヴァノフスは1906年にラトヴィア東部の自然豊かなラトガレ地方で生まれます。イヴァノフスは21曲の交響曲を作曲しており、60年代に作曲した第9番から13番においては、多調性や12音技法を大胆に用いたり、ジャズのようなパーカッションの実験的な使用、カタカタと乾いた音を立てるピアノなど、当時のラトビアの音楽、詩、芸術において荒々しいスタイルの先駆者ともいわれています。その最中1964年に、以上にあげた4声の小さなアカペラ混声合唱作品「秋の歌」は作曲されています。これはラトビア音楽の歴史において、「新ロマン主義」のはじまりである、と言われています。古代の羊飼いの歌の名残のようなメロディー、深い呼吸を彷彿させる平行5度を含めた反復進行、単調が支配する中、絵画的な哀歌のよう。このヴォカリーズ作品集にも見れるように、故郷の自然の美しさ、神聖なものへ捧げるもの、など作品は抒情的なものへと移り変わっていきます。
 ヴォカリーズは14曲の小品からなる作品集で、1969年に設立されたリガ室内合唱団アヴェ・ソルと当時の伝説的な指揮者イマンツ・コカルスの依頼によってヴォカリーズの作品集を完成させることとなりました。ヴォカリーズというタイトルの通り、作品すべて歌詞はなく、母音の選択は合唱団の判断にゆだねられます。作品集の大半は、「雨の日に」、「冬の朝」、「渡り鳥」、「霧」、「積雲」など、風景描写であり、それらはまるで音から見る風景画のよう。イヴァノフス自身、幼少期から絵画においての才能もあったといい、彼と同世代のラトビアの著名な風景画家、ヴィルヘルムス・プルヴィーツ(Vilhelms Purvīts)に絵画を学んでいました。イヴァノフスの見ていた色、形、それを音を通して描いたものをこの作品集を通して垣間見ることが出来ます。このヴィルヘルムス・プルヴィーツの作品を眺めながら、このイヴァノフスの作品集を聴くと、親和性を感じます。また、声部も基本的に4声で書かれており、ヴォカリーズということなので、言語は心配だけどラトビアの作品に触れてみたいな、という合唱団にとってもおすすめです。
近年では2022年にラトヴィア放送合唱団による録音アルバムがapple music、spotify、YouTubeからリリースされアクセスができますが、他にもアヴェ・ソルはじめ様々な合唱団による演奏を見つけることができます。母音の選択は団により異なり、
それによって生まれる色彩感の違いも楽しめます。(山﨑志野)

楽譜は、パナムジカでお求めいただけます。
https://www.panamusica.co.jp/ja/product/15816/

山﨑 志野 (やまさき しの)

【筆者プロフィール】
山﨑 志野 (やまさき しの)
島根大学教育学部音楽教育専攻卒業後、2017年よりラトビアのヤーゼプス・ヴィートルス・ラトビア音楽院合唱指揮科で学び、学士課程および修士課程合唱指揮科を修了。2022年にはストックホルム王立音楽大学の修士課程合唱指揮科で学ぶ。2023年9月よりラトビア放送合唱団のアルト、またラトビア大学混声合唱団Dziesmuvaraの指揮者として活動する。第2回国際合唱指揮者コンクールAEGIS CARMINIS(スロベニア)では総合第2位、第8回若い指揮者のための合唱指揮コンクールでは総合2位およびオーディエンス賞を受賞。合唱指揮を松原千振、フリェデリック・マルンベリ、アンドリス・ヴェイスマニス各氏に師事。

 

日本の合唱作品紹介

指揮者、演奏者として幅広く活躍する佐藤拓さんと田中エミさんのお二人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

男声合唱組曲「わきめもふらず。ジグザグに。」

●男声合唱組曲「わきめもふらず。ジグザグに。」
作曲:信長貴富
作詩:及川均
出版社:カワイ出版
価格:1,870円(税込)
声部:TTBB
伴奏:ピアノ伴奏
時間:17分
判型:A4判・56頁
ISBN:978-4-7609-4330-2
収録曲:
わきめもふらず。ジグザグに。/夜の機関車/マカハンニャハラミッダ/日常茶飯的

こんにちは。佐藤拓です。
さて皆さんは「及川均」という詩人をご存知でしょうか?
1913年岩手県に生まれの及川は、岩手師範学校を卒業して小学校教師を数年務めたのち、戦中は中国・北京で教員となりました。戦後は上京し「日本未来派」の詩人として数々の詩を発表、1996年に82歳で亡くなるまで後進の育成や創作に励みました。しかし、いまとなっては及川の詩集はすべて絶版、一部の研究者を除いて彼の存在を知るものはほとんどいない状況です。かくいう私もこの詩人のことは寡聞にして知りませんでしたが、今回取り上げる信長貴富さん作曲の『わきめもふらず。ジグザグに。』が及川の詩集『焼酎詩集』(1955年)から取られていることでその存在を認知し、俄然注目するようになりました。
焼酎詩集、の名の通りすべて酒と酔っ払いにまつわる詩ばかりですが、戦後間もない混沌とした世相の中で、物悲しく、ときにニヒリスティックに物事を眺めながら、決して悲観的にはならず諧謔とシニカルさによって「生」への強い渇望を表しています。
信長さんの作曲は、2行1連でつづられる切れ切れの詩の中に明確な旋律を見出しており、ユニゾンを多用してメロディの力づよさ、美しさを強調しています。初演団体(小田原男声合唱団)が年齢層の高い団体であったこともあるのかもしれませんが、ディヴィジョンが少なく、決めどころで3~4声になるように作曲されており、実際ピアノ伴奏つきの男声合唱曲としては十分なサウンドが響くように配慮されています。

1、 わきめもふらず。ジグザグに。
酔っぱらいの千鳥足を見事に表現したタイトル。6/8拍子のふらりふらりとしたビートは「揺り篭の墓」の妖しさを匂わせ、「生きてることの徒労のために」酒場を目指す男の悲哀を歌います。

2、 夜の機関車
酔いがまわり歯止めのきかなくなった頃合いでしょうか。疾走感のあるピアノのリズムパターンに乗せて、機関車のごとく猛進する旋律が力強く歌われます。

3、 マカハンニャハラミッダ
唐突な般若心経の念仏に続いて、けだるいブルース、能天気なマーチ、アンニュイなワルツが次々と現れます。酔っぱらいの思考さながら、しかしその底には世知辛い人生への嘆きが見え隠れします。

4、 日常茶飯的
暗澹とした酩酊の夜は終わりが近づき、また新しい朝を迎えようとする「当たり前の人生」を讃えるかのような終曲。「一月は吹雪。五月はリラ。生きてることはたのしいから。夜のふかさを杯を手に。」のユニゾンは朗々と鳴り響くクライマックスです。

けっして壮大なテーマや人類普遍の愛を歌うような大仰な曲ではありません。しかし些末かもしれない市井の人間の「日常茶飯」の営みの中にこそ生の膨大なエネルギーがあり、それこそが“合唱する”行為の源泉でもあるように教えてくれる作品です。年齢層の高い合唱団が、無理に若者ぶらずに歌える曲でもあると思います。
私が指揮する東京稲門グリークラブ(早稲田大学グリークラブのOB団体の一つ)で、2024年2月4日に行われる第10回定期演奏会(タワーホール船堀大ホール)でもプログラムに加えています。20数名の少人数シニア団体ですが、この年代にしか出しえない独特の響きが随所に現れ、毎度発見のある作品です。(佐藤拓)

佐藤拓(さとう たく)

【筆者プロフィール】
佐藤拓(さとう たく)
岩手県出身。早稲田大学第一文学部卒業。在学中はグリークラブ学生指揮者を務める。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。
World Youth Choir(世界青少年合唱団)元日本代表。アンサンブル歌手、合唱指揮者として活動しながら、日本や世界の民謡・民俗歌唱の実践と研究にも取り組んでいる。近年はボイストレーナーとして、自身の考案した「十種発声」を用いた独自の発声指導を行っている。Vocal ensemble 歌譜喜、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、日本ラトビア音楽協会合唱団ガイスマ等の指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。
(公式ウェブサイト https://contakus.com/