The Great Learning, Paragraph 7 大学 第7段落(Cornelius Cardew 作曲)/ 混声合唱とピアノのための「五つの愛の言の葉」(松波千映子 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●The Great Learning, Paragraph 7(大学 第7段落 )
作曲:Cornelius Cardew(コーネリアス・カーデュー)
声部:指定なし
伴奏:ア・カペラ
言語:英語
時間:約20分

8ヶ月ぶりの寄稿となります。ここに記事を書く時、ここ数年のあいだはいつもコロナ禍の話題が導入のことばとなっていましたが、今年の5月にコロナの法令上の扱いが変わったことだけで、自分も含めた世の中の認識がこうも変わるのか、ということに対しては、良い悪いというよりは、改めて驚いてしまいます。

でも、合唱音楽に再び堂々とした気持ちで取り組めることになってきたことは、純粋にありがたいと思っています。限られた人生の時間のなかで、納得できる音楽活動をできるだけ多く生み出して行かねばならないという思いも新たにしました。

コーネリアス・カーデューもまた、「納得できる音楽」のために多大なリスクをかけて取り組んだ・・・・、ということばで簡単に形容してはいけないくらいの激しい生涯を送った人物のひとりです。

イギリス出身の実験音楽作曲家であるコーネリアス・カーデュー(1936-1981)は、カールハインツ・シュトックハウゼンやゴッフレド・ペトラッシに師事した過去をもち、前衛音楽楽壇のイギリスにおける中心人物となったと思いきや、後半生はマルクス・レーニン主義に傾倒し、活動家に転向。のちに45歳で原因不明の交通事故によってこの世を去ります。曰くの付きすぎる経歴からか、カーデューの20世紀音楽への実質的な貢献に比して、その名前、作品が知られる機会はかなり限られてしまっているように思われます。

今回ご紹介する彼の「The Great Learning, Paragraph 7」は、彼が本格的に極左活動家となるより少し前、1971年に作曲された作品です。「The Great Learning」とは曾子(孔子の弟子)の書物である「大学」のことで、これを詩人のエズラ・パウンドが訳したもののうち第7段落をテクストとして作曲したものです。

作品は、彼が主宰した「The Scratch Orchestra」という音楽家と非音楽家によるアンサンブル集団のためにかかれており、本作品も声のみを重ね合わせるという意味では合唱作品的ではありながらも、「any number of untrained
voices(任意の人数の訓練されていない声)」と但し書きがあったりするように、いわゆる「歌をうまく歌う」「合唱をうまく歌う」という概念がそもそもからして通用しない作品になっています。

楽譜には西洋音楽の伝統的な5線譜は一切使われることなく、下記のようなプログラム言語風の進行表が記されています。

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sing 8 IF
sing 5 THE ROOT
sing 13 (f3) BE IN CONFUSION
以下略
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たとえば1行目の「sing 8 IF」は、「IFというテクストを息が続く限り伸ばし、8回繰り返す」ということを意味しています。これらを冒頭と中盤にのみある指揮者のキューで開始し、あとはそれぞれの歌い手が自分の呼吸のペースに合わせながら各自進んでいきます。

音高、音程に関しても伝統的楽譜に準ずるような、あるいはHz数などでの指定は一切ありません。いわゆる即興音楽の一種です。ただし一定のルールが付記されていて、それに従うことに音響にある種の生態系が生じるようになっています。それによればはじめは、全く自由にすきな音高でことばを発するのですが、2行目以降は、まわりにいる誰かが発した音高をよく聴き取って自らに取り入れて、それと同じものを発する、ということになっています。まわりの音が判別できなければ、うたうのを待って、まず会場を歩き回って音を探したりします。

それを多人数のひとびとで集まって行うことで、予測できない音響のさざなみが発生します。そしてそれは会場内の聴く位置の違いによっても全く異なる風景を味わう結果に繋がります。
とくに合唱音楽のような集団の音楽において陥りやすい、あるいはコミュニティによっては普段はそれをむしろ良しとするような「病」として、「みんなで協力して、ひとつの目標を達成するように取り組む」「リーダーに従う」「技術的に高い質で演奏する」「集団の中で優れた行動をとる」ということがあります。

カーデューはたとえばこういったことを音楽を分配する上での不平等であり権力の不均衡だと捉えました。たしかにこのThe Great Learning, Paragraph 7という作品のうえでは、「うまい」状態とは何のことなのか、「優れた行動」とは一体なんなのか、そもそも定義することができません。「頑張った人」と「コミットしなかった人」を見分ける術も必要もありません。この楽曲のなかに限っていえば、音楽のもとの平等がこの上ない形で実現されているといえるでしょう。

そのような考え方で外の景色を改めてみてみれば、わたしたちにとっての「普通の」音楽がいかに避けがたい不均等性を内包し、ときにある種の暴力性を孕むことありきのものであるのか、ハッとさせられます。また、それを知ったうえで取り組む「普通の」音楽にも、これまでとは違う感覚の世界が待っているでしょう。その意味でカーデューの本作品は、後戻りできない1つの楔を音楽史上に打ち込んだ楽曲だと言えるかもしれません。

本作品が日本で上演されることはこれまでほとんどありませんでした(筆者が調べる限りでは2009年、足立智美さん主宰によるもののみ)が、作品のコンセプトからしても、合唱の人が、技術を問わずぜひ軽い気持ちで取り組んでみていただきたいものです。

なお、本年11/23(祝)に開催されるvocalconsort initium ; 7th concert─ひびきとことばのまんなかで─ にて本作品を含んだプログラムが上演予定となっています。(柳嶋耕太)

コンサート詳細 https://teket.jp/4479/26090
演奏録音 https://www.youtube.com/watch?v=qIBG1A9B3Iw

柳嶋 耕太 (やなぎしま こうた)

【筆者プロフィール】
柳嶋 耕太 (やなぎしま こうた)
2011年に渡独。ザール音楽大学指揮科卒業。在学中、ドイツ音楽評議会・指揮者フォーラム研究員に選出、同時にCarus出版より"Bach vocal"賞を授与される。以来、ベルリン放送合唱団をはじめとするドイツ国内各地の著名合唱団を指揮した。2017年秋に完全帰国。vocalconsort initium、室内合唱団vox alius、横浜合唱協会、Chor OBANDESをはじめとする多数の合唱団で常任指揮・音楽監督を務める。合唱指揮をゲオルク・グリュン、指揮を上岡敏之の各氏に師事。

 

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混声合唱とピアノのための「五つの愛の言の葉」

●混声合唱とピアノのための「五つの愛の言の葉」
作曲:松波千映子
作詩:谷郁雄
出版社:カワイ出版
価格:1,980円(税込)
声部:SATB
伴奏:ピアノ伴奏
時間:20分30秒
判型:A4判・56頁
ISBN:978-4-7609-4288-6
収録曲:
ありがとう/雑踏/道順/祈りの輪/平凡な一日

こんにちは。佐藤拓です。
今回紹介するのは松波千映子さん作曲のオリジナル作品『五つの愛の言の葉』です。様々な分野のアーティストとのコラボレーションを重ねる詩人・谷郁雄さんによる、ダイレクトで衒いのない言葉で綴られた五編の詩を通して、日常の中に隠れるしあわせのかけらを見つけ出すような組曲です。
声楽家によるアンサンブルFontana di Musica(指揮:安達陽一、ピアノ:秋野淳子)によって委嘱され、2022年4月に初演されました。各パートの音域には一切無理がなく、どのパートにも旋律美があふれていて、かつピアノとの美しい絡み合いが際立っています。ジャズや映画音楽をアメリカで学び、自身もコーラスグループのメンバーとして歌っていらっしゃる松波さんの多彩な面が見られる作品だと思います。

1、 ありがとう
テノールによるレチタティーヴォの無伴奏ソロに導かれた、やや陰りを帯びた幕開け。3拍子の緩やかな推進力にのって、道端に打ち捨てられた小さな花の中に大きな愛の泉を描き出します。

2、 雑踏
5/8+6/8という複合拍子にのせてアンニュイで抒情的な旋律が紡がれます。無窮動のようなピアノのビートを感じればこの拍子感もごく自然に感じられることでしょう。7/8拍子に変わってテンポも上がり、力強いホモフォニーを奏でた後は再び冒頭の雰囲気に帰ります。

3、 道順
12/8拍子で優しいメロディーがユニゾンに乗せられます。組曲で初めて長調の明るい和音が支配する曲で、「しあわせ」のシンボルである「大きな木」への慕情を歌います。シンプルながらジワリと沁みるメロディーが印象的です。

4、 祈りの鐘
バラード風のセンチメンタルなピアノソロに始まり、効果的なユニゾンを多用しながらもの言わぬ海への祈りを穏やかに歌います。なにかを失いながら、つぎはぎだらけの日常へと帰っていく人間の哀愁を感じさせる一曲。

5、 平凡な一日
「幸せは一輪の花」に始まり、日常の些細なシーンに大切な幸福をひとつずつ確かめていく終曲。これまでの曲のテーマ、拍子、旋律が次々に現れ、走馬灯のように様々な記憶が流れゆきます。いわゆる“終曲感”のある高らかに声を張り上げるような盛り上がりはなく、穏やかにやさしく平凡な日常を愛でます。

作品リストを見ると編曲作品が多い松波さんですが、オリジナル作品にも他には代えがたい魅力がつまっていますね。
初演者による再演の記録がYouTubeで公開されています(コール・ディカプルとの合同演奏)。曲の魅力を十全にあらわした素晴らしい演奏です。(佐藤拓)

https://youtu.be/JLh2Izm2KEw?si=XF0PsmiaY2waOyOD

佐藤 拓(さとう たく)

【筆者プロフィール】
佐藤 拓(さとう たく)
早稲田大学第一文学部卒業。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。World Youth Choir元日本代表。合唱指揮者、アンサンブル歌手、ソリストとして幅広く活動中。
Vocal ensemble 歌譜喜、The Cygnus Vocal Octet、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、日本ラトビア音楽協会合唱団「ガイスマ」、合唱団Baltu指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。
声楽を捻金正雄、大島博、森一夫、古楽を花井哲郎、特殊発声を徳久ウィリアムの各氏に師事。(公式ウェブサイト https://contakus.com/