Deutsches Ordinarium(Anton Heiller 作曲)/ 混声合唱とピアノのための組曲「遠望」(根岸宏輔 作曲)
世界の合唱作品紹介
海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●Deutsches Ordinarium(ドイツ語通常文)
作曲:Anton Heiller(アントン・ハイラー)
出版社:Doblinger
編成:SATB
伴奏:オーケストラとオルガン
言語:ドイツ語
今回はAnton Heiller(アントン・ハイラー1923-1979)作曲のDeutsches Ordinarium(ドイツ語通常文)という作品についてご紹介させていただきます。2020年にこのコーナーで Drei kleine Geistliche Chöre(三つの小さな宗教合唱曲)という作品をご紹介したことがありますが、ハイラーは、オルガニスト、指揮者、作曲家として活躍したオーストリアの音楽家です。彼が遺した作品のほとんど全てが、教会音楽作品そしてオルガン作品であり、その中にはアカペラの小品、ミサ、レクイエムなど多くの合唱作品が含まれます。
今回ご紹介するDeutsches Ordinarium(ドイツ語通常文)は、タイトルの直訳がなんとも素敵ではないのですが、その名の通りミサ通常文(ラテン語)のドイツ語訳がテキストとなっています。意訳するならば「ドイツ語によるミサ曲」といったところでしょうか。ハイラーはラテン語のミサ曲も複数遺していますので、なぜこの作品をドイツ語で作曲したのか定かではありませんが、楽譜のタイトルの上に「Dem Andenken meines lieben Vaters (親愛なる我が父への追憶)」という一文が記されており、父へ送る歌として母語であるドイツ語を選んだのかもしれません。
作品は以下の5つの部分から構成されています。
1. Herr, erbarme Dich unser (主よ、我らを哀れみたまえ Kyrie)
2. Ehre sei Gott in der Höhe(いと高き神に栄光あれ Gloria)
3. Ich glaube an den einen Gott(唯一なる神を信仰します Credo)
4. Heilig(聖なるかな Sanctus/Benedictus)
5. Lamm Gottes(神の子羊 Agnus Dei)
ハイラーの音楽は決して複雑怪奇ではなく、音数も多くはありませんが、和声展開は独特です。たとえば4曲目のHeillig(聖なるかな)の冒頭は、E-Dur(ホ長調)の三和音、そこからb-moll(変ロ短調)、Es-Dur(変ホ長調)、F-Dur(へ長調)、D-Dur(二長調)、h-moll(ロ短調)、G-Dur(ト長調)といった具合に、わずか三小節の中でどんどん展開していきます。お手近にピアノがあればぜひ和音を並べて弾いてみて欲しいのですが、♯系、♭系の和音が入り乱れ、遠隔調(共通する音が少ない調)の和音に予備動作なく進んでいきます。それでいながらこの冒頭部分に非和声音は現れず全て長三和音もしくは短三和音で書かれており、それが独特の浮遊感を生み出しています。作品全体を通して、全パートが同じリズムで歌うホモフォニーで書かれている部分が非常に多く、万華鏡のように角度を変えるたびにまるで違う色彩が現れることがハイラー作品の魅力のひとつではないかと感じています。
この作品は混声四部合唱と、オーケストラ(オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽器)とオルガンのために書かれています。(私は一度オルガンと合唱のみでの演奏に立ち会ったことがあります。)ヨーロッパでも演奏機会が多くないためか録音音源が見当たらず、また楽譜も海外での取り扱いのみのご紹介となってしまうのですが、もし興味を持っていただけましたらぜひハイラー作品に触れてみていただけたら嬉しいです。(谷郁)
※楽譜はパナムジカでお求めいただけます。
【筆者プロフィール】
谷 郁 (たに かおる)
国立音楽大学声楽科卒業及びグラーツ国立音楽大学大学院合唱指揮科修了。これまでに合唱指揮を花井哲郎、エルヴィン・オルトナー、ヨハネス・プリンツの各氏に師事。
Tokyo Cantatにおける第5回及び第6回若い指揮者のための合唱指揮コンクールいずれも第2位。国際合唱指揮コンクールTowards Polyphony(ポーランド)で高い評価を受け、NFM Choirにより客演指揮に招請された。
vocalconsort initium、Hugo Distler Vokalensemble、Tokyo Bay Youth Choir指揮者。他指導合唱団多数。
日本の合唱作品紹介
新進気鋭の若手指揮者、佐藤拓さんと田中エミさんのお二人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。
●混声合唱とピアノのための組曲「遠望」
作曲:根岸宏輔
作詩:高橋元吉
出版社:カワイ出版
価格:1,760円(税込)
声部:SATB 他
伴奏:ピアノ伴奏
判型:A4判・40頁
ISBN:978-4-7609-4291-6
収載曲:
遠望/空/夕暗の中にて/智慧の湖
こんにちは。佐藤拓です。
今回紹介するのは2020年度の朝日作曲賞を受賞した根岸宏輔さん作曲の組曲『遠望』です。組曲のうち第4曲「智慧の湖」が昨年度(2022年度)の全日本合唱コンクールの課題曲に選定され、多くの団体に歌われたことからご存知の方もいらっしゃると思います。
作曲者の根岸さんはなんと1998年生まれ!この作品を書かれたころはまだ日本大学芸術学部音楽学科の学部生で、合唱曲の作曲もほぼ初めてだったとのことで、彗星のごとく現れた新鋭に筆者も驚きました。同年には《仄めく幻影の その揺曳する挙動》で現代音楽界の登竜門の一つ・現音作曲新人賞を受賞され、2021年にはオーケストラのための《雲隠れにし 夜半の月影》で国際的権威をもつ作曲賞の一つである武満徹作曲賞を受賞。同作は2022年の芥川作曲賞の最終候補にもノミネートされました。
《雲隠れにし 夜半の月影》をラジオ放送で聴くことができましたが、各楽器の繊細な扱い、音色の変化による遠近感の微妙な変遷、光の揺らめきのような淡い色彩感など、新鮮さにあふれたソノリティに聞き入ってしまいました。解説をしていた作曲家の西村朗さんは「現代における日本的印象派」と評していましたが、言い得て妙と思います。
オーケストラ作品で示した「繊細さ」「遠近感」「淡い色彩感」、それどれもがこの合唱組曲の中にも色濃く表れます。タイトルとした『遠望』のとおり、遠く、見えにくく、手が届かないさまと、それによって遠回しに描かれる”寂しさ”がこの組曲を通底するテーマとなっています。
また音色技法だけでなく、リズムパターンや音型、和音の配置などに一貫性を持たせ、あくまでも組曲全体が有機的に結合されていることも見てとれます。詩の選定の独自性とも相まって、日本の合唱作曲界に新風をふき込む新世代の嚆矢となる予感がいたします。
詩は高橋元吉(もときち、1893~1965)の処女詩集『遠望』(1922年)から取られ、無伴奏1曲を含む全4曲からなります。
1、遠望
「眼を遠く放ちて 寂しく曇る空を眺むる」というわずか2行の詩が断片的に綴られます。テキストをリズムを少し変えて各パートがリレーする箇所では、無規則なリバーブのような効果も。終止打楽器的なピアノとテキストを歌う人声との間に遠近の隔たりがあり、そのはざまをB.F.やB.O.中間的な音色が漂うことで、立体的かつ“額縁のない絵画”のような無限の広がりを感じさせます。
2、空
組曲中最も長い詩で変化の多い楽章。はじめは平行四度・五度を多用したレチタンド(語るような)、中間部は細やかな音量変化で語り手の激しい心の動きを目まぐるしく表現しています。拍子が6/8に変わってからは一点旋律的にホモフォニックに進行し、最後は「私はしょんぼりたっていた」とppのユニゾンで寂しげに締めくくります。
3、夕暗の中にて
唯一のアカペラ楽章。夕暮れに浮かぶ雲、その雲の下にある平和な生活を想って一人淋しくなる詩人の心境はどんなものだったでしょう。終始ト長調の世界にあって、6/8拍子のやさしい律動に乗せて歌われるロマン派風小品。テンポ変化に関する指示が一切なく、演奏者の音楽的・文学的感性が必要とされるでしょう。
4、智慧の湖
これまでの3曲で用いられた手法が凝縮されたまさに終曲にふさわしい作品。「霧の中の朝日のように」という歌詞の通り、輪郭の淡い印象派絵画のように色彩の微妙な変化で映像を立ち上がらせます。波の泡立ちを思わせるピアノの間奏に続いて、後半に繰り返し現れる「高い空に光っている」の煌めくような音型が特に印象的です。最後は霧の中へ消えていくように静かに終わりを迎えます。
根岸さんはすでにいくつかの団体から委嘱を受け合唱作品を書かれていますが、現代音楽、器楽の分野で高い実力を示した作曲家が合唱にも真摯に取り組んでくださっている、というのは(ちょっとおこがましいようですが)とても喜ばしいことだと思います。今後も一層素晴らしい作品を世に送り出してくれることと期待しています。
【筆者プロフィール】
佐藤 拓(さとう たく)
早稲田大学第一文学部卒業。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。World Youth Choir元日本代表。合唱指揮者、アンサンブル歌手、ソリストとして幅広く活動中。
Vocal ensemble 歌譜喜、The Cygnus Vocal Octet、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、日本ラトビア音楽協会合唱団「ガイスマ」、合唱団Baltu指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。
声楽を捻金正雄、大島博、森一夫、古楽を花井哲郎、特殊発声を徳久ウィリアムの各氏に師事。
(公式ウェブサイト https://contakus.com/)