Nuit, adieu 夜、別れ(Kaija Saariaho 作曲)/ 混声合唱とピアノのための「空への祈り」(松下倫士 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●Nuit, adieu (夜、別れ)
作曲:Kaija Saariaho(カイヤ・サーリアホ)
出版社:Chester
声部:SSSAAATTTBBB
伴奏:無伴奏

フィンランドを代表する作曲家であるカイヤ・サーリアホさんが、今月2日に70歳の若さで亡くなりました。フィンランド現代音楽を牽引する女性作曲家であり、長くフランスを拠点に活動され、管弦楽やオペラの作品は世界中で演奏されています。サーリアホは、シベリウスアカデミーで作曲を学び、在学中はマグヌス・リンドベルイやエサ=ペッカ・サロネンらとともにモダニズムを推進する作曲家グループ「コルヴァト・アウキ!(耳を開け!)」を結成。フライブルクとダルムシュタットで、ブライアン・ファーニホウとクラウス・フーバーに学び、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)での研究を軸に、コンピュータ音楽とライヴ・エレクトロニクス技術を作曲に応用しました。視覚的なイメージを喚起する優美で神秘的な作風で知られる、サーリアホの唯一のアカペラ合唱曲「Nuit, adieux 夜、別れ」をご紹介したいと思います。

本作は、1991年に4声のソロとエレクトロニクスのために作曲され、1996年にエレクトロニクスパートを混声合唱団に置き換えた、4声のソロとアカペラ合唱ヴァージョンとして書き直されました。”in memory of my grandmother 祖母を追悼して”と記されており、サーリアホ自身が「『Nuits, Adieux』 は、歌、呼吸、ささやき、夜、そして別れについての曲です。」と説明しています。”呼吸”と”歌”の間の繊細な音色がたくさん登場し、冒頭には「ささやき、話し声、歌声、空気を含んだ話し声、たくさんの空気を含んだ話し声、吸う音、吐く音」とそれぞれ記譜法が提示されています。いわゆるクラシックな記譜で綿密に記されていますが、聞いてみると、時間が無限に広がっていくような感覚を覚える不思議な作品です。

「Nuit 夜」と「Adieux 別れ」は2つの異なる詩で、「Nuit 夜」はジャック・ルーボーの著書『Echanges de la lumière 光の交換』から、「Adieux 別れ」はオノレ・ド ・バルザックの小説『Séraphita セラフィタ』からの抜粋です。全体で10のセクションから成り立っており、「Nuit 夜」と「Adieux 別れ」それぞれ5パートずつ、テキストが交互に出てくるように配置されています。

「Nuit 夜」では、暗闇に放たれる光をソロが神秘的に歌い、その陰で「j h z j h s」というような子音を合唱がささやいて、夜の空気のうごめきを作っていきます。ソロの跳躍の多いメロディー、合唱の断片的なリズム、そして静かにずっと鳴っている持続音と3種類の音像が、縦・横・奥行きを感じさせるため、立体的な空間が作られています。

「Adieux 別れ」では、背景だった合唱のリズミカルなささやきが次第に揃っていき、偶発的で断片だった声が意思を持つように、歌声になっていきます。和音や拍子の概念がなく、常に様々な音(音色)が聞こえていた多元的な世界から、皆が同時に”歌声”を発するだけで、とてつもない力を発揮します。合唱以前の声の幅が広いだけに、声の重なりの美しさ、歌声の力強さが印象的です。そして、その歌声が、話し声になり、やがて呼吸の波になって、曲は終わります。

『さようなら、花崗岩、あなたは花になります。 さようなら、花よ、あなたは鳩になるでしょう。 さよなら鳩よ、あなたは女になります。 さようなら、女よ、あなたは痛みになるでしょう。 さようなら、男よ、あなたは信念になるでしょう。 さようなら、愛と祈りのすべてとなるあなた。』

カイヤ・サーリアホさんが天国で平安に過ごされていることを祈りながら、残してくれたたくさんの美しい作品を聴いていきたいと思います。本作の楽譜はチェスター社から出版されており、音源はSpotifyでも聴けます。(堅田優衣)

堅田 優衣 (かただ ゆい)

【筆者プロフィール】
堅田 優衣 (かただ ゆい)
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業後、同研究科修了。フィンランド・シベリウスアカデミー合唱指揮科修士課程修了。2015年に帰国後は、身体と空間を行き交う「呼吸」に着目。自然な呼吸から生まれる声・サウンド・色彩を的確にとらえ、それらを立体的に構築することを得意としている。第3回JCAユースクワイアアシスタントコンダクター、Noema Noesis芸術監督・指揮者、女声合唱団pneuma主宰、NEC弦楽アンサンブル常任指揮者。合唱指揮ワークショップAURA主宰、講師。また作曲家として、カワイ出版・フィンランドスラソル社などから作品を出版している。近年は、各地の伝統行事を取材し、創作活動を行う。

 

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混声合唱とピアノのための「空への祈り」

●混声合唱とピアノのための「空への祈り」
作曲:松下倫士
作詩:八木重吉
出版社:カワイ出版
価格:2,090円(税込)
声部:SATB div.
伴奏:ピアノ伴奏
判型:A4判・60頁
ISBN:978-4-7609-2059-4
収載曲:
心よ/太陽/空が 凝視てゐる/息を 殺せ/母をおもふ

今回は作曲家、松下倫士氏の混声合唱曲《混声合唱とピアノのための「空への祈り」》をご紹介します。

松下倫士氏は吹奏楽やアンサンブル作品を多く手掛けられ、近年は声楽や合唱のための作品も送り出されている注目の作曲家です。この作品は2022年8月に札幌コンサートホールKitara小ホールで行われたカワイ出版の委嘱企画《The Premier Vol.5 北の大地のオール新作初演コンサート!》にて、平田稔夫指揮、福森百伽ピアノ、合唱はTHE GOUGEによって初演されています。

混声4部合唱の5曲構成で、div.も必要最低限に、骨太な音楽のラインと自然な色彩の変化が印象的な作品です。

テキストは八木重吉。明治生まれの詩人、また英語教師でもあった八木重吉はクリスチャン詩人としても知られており、生涯信仰と詩作に励みましたが、結核により29歳という若さでその生涯を閉じています。聖書をギリシヤ語で耽読し、無教会派のキリスト教徒として詩檀とはあまり関わることはなかったそうです。
八木重吉の詩が歌われる合唱曲で有名な作品として、多田武彦の「雨」を思い浮かべる方も多いかもしれませんね。

1心よ
ノスタルジックなピアノの前奏から始まる音楽。自分の心を見め愛おしむ穏やかな眼差しが、徐々に憧れが強まり、やがてAppassionatoへと壮大に展開していきます。

2太陽
落ちていく夕陽を眺めていたら自分もひとつ欲しくなったというユニークな詩。自分の手のひらで転がしたり、腹が立てば投げつけたりと、押さえきれぬ感情を、作曲家は楽しくリズミカルに遊び心満載な音楽に乗せています。ピアノに登場する「夕焼け小焼け」とヴォカリーズがオレンジ色の大空を映し出します。

3空が 凝視(み)てゐる
自分をみつめる大空は神であり、全てを見透かされてしまう恐れを前半部分のピアノとともに描写し、それに対して全てを包む空の温かさや強さを感じるが故の「さびしさ」や「さやけさ」を歌う中間部では声だけでその神秘を歌います。組曲で唯一のア・カペラに息を飲む場面です。

4息を 殺せ
赤ん坊は空(つまり神の国)から送られてきた人間であり、その赤ん坊が空を見上げていることはただ事ではないのだ、と警鐘を鳴らします。張り詰めた緊張感がピアノの32分音符の連続や目眩くテンポ変化で表現されています。 

5母をおもふ
母親と散歩をしたならば「重吉よ 重吉よ」と何度でも自分に話しかけるであろうという言葉に、母親を恋い慕うこころと、ゆっくりと映りゆく時間の経過が描かれています。

八木重吉は「空」をみつめる詩人であったことは、「空への祈り」という曲集のタイトルにも込められているのでしょう。
松下氏が初めて書かれた混声合唱作品だそうですが、その渾身の一作に是非チャレンジしてみてはいかがでしょうか。(田中エミ)

田中エミ (たなか えみ)

【筆者プロフィール】
田中エミ (たなか えみ)
福島県出身。2003年、国立音楽大学音楽教育学科卒業。ゼミでは合唱指揮と指導法を学ぶ。また、同時期より栗山文昭のもと合唱の研鑽を積む。TOKYO CANTAT 2012「第3回若い指揮者のための合唱指揮コンクール」第1位、及びノルウェー大使館スカラシップを受賞し、2013年にノルウェーとオーストリアに短期留学。2022年、武蔵野音楽大学別科器楽(オルガン)専攻修了。現在、合唱指揮者として幅広い世代の合唱団を指導。21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」会員。