Kyrie(Josep Vila i Casanas 作曲)/ Vier japanische Chorlieder(坂本良隆 編曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●Kyrie (Missa Sanctus-Benedictus)
作曲:Josep Vila i Casañas(ジョゼップ・ビラ・イ・カザーニャス)
出版社:Ficta
声部:SATB soli, SATB+SATB
伴奏:無伴奏
言語:ラテン語

本日ご紹介するのは、スペインの作曲家であり指揮者でもあるジョゼップ・ビラ・イ・カザーニャス氏の作品です。ビラ氏は1966年生まれの56歳、現在もスペインを中心に広く活躍されています。彼は2021年のJCAユースクワイアの指揮者として招聘されており、コロナ禍のため来日が実現しなかったことが大変悔やまれるのですが、その時に名前をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私はオーストリア留学中に合唱指揮講習の中で彼の指導のもと今回ご紹介するキリエの指揮をしたことがあり、ビラ氏のこともこの作品のことも、とても印象に残っています。

ビラ氏の作品の中でも演奏頻度が高い(とご自身のウェブサイトで紹介されている)Sanctus-Benedictusという混声4部の作品があり、その作品をもとに後年作曲されたのがMissa Sanctus-Benedictusで、こちらは二群合唱のための作品として2010年から2014年にかけて作曲・出版されています。作品にはキリエ・グローリア・クレド・サンクトゥス(ベネディクトゥス)・アニュス・デイが含まれますが、今回はその中からキリエを中心に取り上げたいと思います。

キリエの調性はes-moll(変ホ短調)、テンポは四分音符=48で非常に静かな男声の低音から始まります。そこからテノールによる旋律、アルト、ソプラノへと徐々に音域の幅が広がっていき、全パートが力強く歌うテーマへと繋がっていきます。二群合唱の全8声がホモフォニックに歌う部分は少なく(明確にそうと言えるのはキリエの中で4小節間のみ)、大部分は各声部がポリフォニックに動いているため、全パートが揃った時の音の厚みはとても印象的に響きます。曲の中間部にはソロパートもあり、音量の幅の広さもこの作品の特徴のひとつと言えるかもしれません。この作品のテーマとなる音はEs-Es-Des-F-As(ミ♭ーミ♭ーレ♭ーファーラ♭)であるとビラ氏自身が解説しており、これはミサのもととなったSanctus-Benedictusの冒頭のテーマでもあります。キリエの冒頭がこの音で始まるのですが、はじめは複数のパートが1音ずつ繋いでいく形で現れます。そしてキリエの終結部ではこのテーマがテノールによって旋律として歌われ、楽曲の最後にテーマを明示して終わります。
キリエは先にも述べたようにテンポがゆっくりで、音の動きはシンプルながら躍動感があり、とても壮大な美しい響きの作品です。ぜひ響きの良い教会などで演奏または聴いていただきたい一曲です。(谷郁)

参考音源:https://www.youtube.com/watch?v=fD50RiKyjxA

※楽譜はパナムジカでお求めいただけます。

谷 郁 (たに かおる)

【筆者プロフィール】
谷 郁 (たに かおる)
国立音楽大学声楽科卒業及びグラーツ国立音楽大学大学院合唱指揮科修了。これまでに合唱指揮を花井哲郎、エルヴィン・オルトナー、ヨハネス・プリンツの各氏に師事。
Tokyo Cantatにおける第5回及び第6回若い指揮者のための合唱指揮コンクールいずれも第2位。国際合唱指揮コンクールTowards Polyphony(ポーランド)で高い評価を受け、NFM Choirにより客演指揮に招請された。
vocalconsort initium、Hugo Distler Vokalensemble、Tokyo Bay Youth Choir指揮者。他指導合唱団多数。

 

日本の合唱作品紹介

新進気鋭の若手指揮者、佐藤拓さんと田中エミさんのお二人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

●Vier japanische Chorlieder(4つの日本の合唱曲)
編曲:坂本良隆
出版社:Schott
声部:TTBB
伴奏:無伴奏
言語:日本語(ローマ字)、ドイツ語

こんにちは。佐藤拓です。
突然ですが皆さんは「坂本良隆」という人物を御存知でしょうか?
坂本良隆は1898年岩手県で生まれ、1921年にドイツに渡りベルリン音楽大学指揮科でパウル・ヒンデミットらに学んだ指揮者・作曲家・教育者です。日本では山田耕筰、信時潔という当時の楽壇の大御所に師事し、特に日本民謡を題材とした器楽曲、声楽曲、合唱曲を数多く残しました。島根大学教授、大阪音楽大学講師として後進を育て、ヒンデミットの『音楽家の基礎練習』(千蔵八郎と共訳)、『指揮法』、ヨーゼフ・フックス『古典対位法』などを和訳して日本に紹介するなど、ヨーロッパの古典から現代にいたる様々な情報を日本に輸入した功績は大きいと思われます。今から半世紀以上前の1968年にこの世を去っています。
しかし現在、坂本の著作、編作曲した作品、訳書は国内ではすべて絶版となっており、古書以外で入手する術がまったくありません(『音楽家の基礎練習』などは訳者から坂本の名前が消される有様です)。名実ともに”忘れ去られた作曲家”といっても過言ではないでしょう。
そんな日本では忘れられてしまった坂本の作品ですが、なんとドイツの出版社Schottから日本民謡編曲の楽譜が出版されているのです!
Schottといえば言わずと知れた世界的楽譜出版社で、日本人でも武満徹や一柳慧、細川俊夫などの作品を数多く取り扱っていますが、坂本の作品が出版されたのは1966年。ドイツで日本人の作品が紹介されたかなり最初期の例なのではないでしょうか。
この「Vier japanische Chorlieder(4つの日本の合唱曲)」はすべて無伴奏の男声合唱曲で、楽譜にはドイツ語の歌詞も付されており、ドイツの男声合唱団が歌うことを想定したものとなっています(もちろん原語である日本語のローマ字表記もあります)。いずれも旋律を主体としたシンプルな構造をもちつつ、声部の掛け合いにポリフォニックなこだわりが見られ、機能和声に頼らず日本民謡のエッセンスを損なわない編曲となっています。4曲とも祝い唄の性格をもった民謡です。

1.Soran Bushi - Lied des Fischers
北海道のみならず、もはや日本を代表する民謡「ソーラン節」です。各パートに旋律を受け渡しながら、力強い掛け声とともに漁師の仕事ぶりと大漁の喜びを醸しています。
https://www.schott-music.com/en/vier-japanische-chorlieder-noc21143.html

2.Sansa Siguze – Tanzlied
主に宮城県で歌われる祝い唄の定番「さんさ時雨」。トップテノールが旋律をリードしながらほぼホモフォニックに進行します。この曲のみSchottでの取り扱いがなく、外部サイトで購入が可能なようです。
https://www.stretta-music.at/sakamoto-sansa-siguze-tanzlied-nr-204084.html

3.Kyushu Tanko Bushi - Kohlengräberlied
“月が出た出た~”でおなじみ「九州炭坑節」です。“ヨーイヨイ”の掛け声がオスティナート風に随所に配置され、2声のカノンをまじえながら陽気に歌われます。
https://www.schott-music.com/en/vier-japanische-chorlieder-noc21147.html

4.Shimotzui Bushi - Der fröhliche Schiffer
岡山県倉敷市の下津井港で歌われていた酒宴の歌で、昭和初期にレコード化されたことで全国的に有名になったのがこの「下津井節」です。テノール系とベース系が交唱のように掛け合い、“トコハイトノエーナノエーソレソレ”というハヤシコトバで全パートが合流します。
https://www.schott-music.com/en/vier-japanische-chorlieder-noc21149.html

日本では忘れられた作品たちが海の向こうで生きている、というのはなんとも数奇なめぐりあわせを感じますし、それらを忘れてしまった自分たち自身のことを想うと少し恥じ入るような気持ちにもなります。新しい作品を生み出し続けることの意義はもちろん尊いですが、振り返った先にうず高く積もった既存作品の中から宝物を探すこともまた、同じくらい大切なことだと私は思います。

「ソーラン節」をドイツの男声合唱団が歌っている記録がYouTubeにありました。ドイツ語で歌っているので初めは珍妙に聞こえると思いますが(笑)、慣れてくるとこれはこれで面白い演奏です。(佐藤拓)

ベルリン・リーダーターフェル1884(Berliner Liedertafel 1884)の演奏(1980年)
https://www.youtube.com/watch?v=zKE-RytOJXs

※楽譜はパナムジカでお求めいただけます。

佐藤 拓(さとう たく)

【筆者プロフィール】
佐藤 拓(さとう たく)
早稲田大学第一文学部卒業。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。World Youth Choir元日本代表。合唱指揮者、アンサンブル歌手、ソリストとして幅広く活動中。
Vocal ensemble 歌譜喜、The Cygnus Vocal Octet、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、日本ラトビア音楽協会合唱団「ガイスマ」、合唱団Baltu指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。
声楽を捻金正雄、大島博、森一夫、古楽を花井哲郎、特殊発声を徳久ウィリアムの各氏に師事。(公式ウェブサイト https://contakus.com/