Christopher Tin / 『漁の譜』(肥後一郎 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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アメリカ合唱の紹介を担当しはじめてはや2年以上経ちましたが、はじめてあまり馴染みのない作曲家を紹介させていただきます。仕事とはいえ新しい音楽に触れ合うことはやはり心が躍りますね。  
 
今回紹介させていただくのは香港系アメリカ人でゲーム音楽の作曲で有名になったChristopher Tinです。

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Christopher Tinはシリコンバレーのど真ん中のカリフォルニア・パロアルト(Palo Alto)出身。香港移民である両親を持ちかの有名なStanford Universityで作曲と英文学の学士を修了、後に映画学で修士を修了しています。
 
スタンフォード在学中にイギリスのOxford Universityに短期留学し、のちにフルブライト奨学生としてRoyal College of Musicにて映画音楽を学びました。
 
Tinの最も有名な作品である“Baba Yetu“はCivilization IVというゲームのテーマ曲として使われ、ビデオゲームのテーマ曲として史上初めてグラミー賞を受賞しています。元スタンフォード時代のルームメイトであるゲームデザイナーがTinに作曲を頼んだことで実現したコラボレーションでしたが、結果的にTinを世界的に有名な作曲家にしました。
 
Baba Yetuは新約聖書の「主の祈り」をスワヒリ語で訳したものです。アフリカ音楽のリズム、西洋音楽のハーモニーがうまく混ざりドラマチックな演出になっています。
 
Baba Yetu by Christopher Tin, arranged by Andre van der Merwe
https://www.youtube.com/watch?v=PCa8RxaOPW8

Tinは合計4枚のアルバムをリリースしており、すべてのアルバムで数種類の言語を使った合唱曲をふくめております。2022年にはRoyal Philharmonic OrchestraとVOCES8のコラボ演奏のアルバム“The Lost Birds”を制作されております。

VOCES8: The Saddest Noise from ‘The Lost Birds’ by Christopher Tin
https://www.youtube.com/watch?v=pwFlCIpmRo0

アルバムに収録されている曲はすべてTin氏のYouTubeアカウントで聞くことができます。
 
最後に彼のSong Cycle(Choral Cycle)、”The Drop that Contained the Sea”の終曲’Waloyo Yamoni’をお聞きください。ウガンダの言語Langoで書かれています。

Christopher Tin: Live at Cadogan Hall – Waloyo Yamoni
https://www.youtube.com/watch?v=XH6IT_tsSUI
 
譜面のオーダーはパナムジカにお問い合わせください。
(市川恭道)

市川恭道(いちかわ・やすみち)

【筆者プロフィール】
市川恭道(いちかわ・やすみち)
関西学院大学卒業。在学中はグリークラブに所属し合唱の基礎を培う。本場でバーバーショップを学ぶため2008年渡米。Masters of HarmonyとThe Westminster Chorusに所属し、2008年、2010年、2019年とバーバーショップ国際大会で優勝。また渡米後、声楽・合唱指揮のプロになることを志し、カリフォルニア州のFullerton College声楽科を卒業。その後、同州Azusa Pacific University(APU)大学院声楽科・指揮科を修了する。APU在籍中はアシスタントとしてOratorio Choir、University Choir and Orchestra、Opera Workshopの指導に携わり主に宗教音楽、オーケストラ指揮、オペラ指揮を学ぶ。現在、Westwood Hills Congregational Church音楽主事、The Westminster Chorus代理指揮者、Los Angeles Men’s Glee Club指揮者としてコーラスの指導にあたり、歌い手としてはLong Beach Camerata Singers、Pacific Choraleに所属する。日本ではアメリカ音楽、Barbershop Harmonyの指導に力をいれ、帰国時には練習指導・講習会を開いている。指揮をDonald Nueun、Dr. John Sutonに、声楽をDr. Katharin Rundus、David Kressに師事。American Choral Directors Association (ACDA)、Choral America、Barbershop Harmony Society (BHS)会員。

 

日本の合唱作品紹介

新進気鋭の若手指揮者、佐藤拓さんと田中エミさんのお二人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

『漁の譜』

●『漁の譜』
作曲:肥後一郎
https://onlineshop.mother-earth-publishing.com/items/29048688

こんにちは。佐藤拓です。
今回ご紹介するのは作曲家・肥後一郎(1940~2019)による日本民謡の編曲作品です。合唱界隈で肥後さんの名前を知っている方はそう多くはないかもしれませんね。
肥後氏は高校時代より独学で作曲を学び始め、早稲田大学経済学部入学後には松村禎三に師事し現代音楽の研鑽に努めました。卒業後は生命保険会社に勤めながら作曲を続け、第38回日本音楽コンクール作曲部門の二位に入賞。以後数々の管弦楽曲、器楽曲、交響曲などを作曲し、日本の伝統音楽や民俗音楽にも造詣が深く、特に邦楽器を用いた現代作品には多くの意欲的な作品を残しています。
合唱曲の分野では日本民謡を編曲した作品が多く、そのほとんどが無伴奏です。名の知れた有名な民謡を取り上げることもあれば、ローカルな仕事唄を掬い上げることもあり、原曲の持つ風土感、エネルギー、伸びやかさをできるだけ留めながら五線に映し出している稀有な作曲家の一人といえます。その作風は小山清茂や、師匠筋にあたる伊福部昭の系譜に連なるものに私には感じられます。
混声合唱のための『漁(すなどり)の譜』は海辺の生活にまつわる民謡を三曲集めた曲集で、2000年10月東京コールフェライン(指揮:荒谷俊二)によって初演されました。いずれもソリストを必要とします。

1、 石巻港節
宮城県石巻漁港付近の民謡。歌詞は松島や金華山、北上川河口など石巻近辺の名所を紹介しており、祝い唄、もしくはご当地ソングの類として生まれたものでしょう。変ロ短調の主音に終始する形から、旋律の成立は明治後期以降の比較的新しい部類の民謡であると思われます。穏やかな水面を思わせる女声のトレモロに始まり、ソプラノソロが旋律をのびのびを歌いだします。「トコヤッサイヨーイヤサ」の掛け声から合唱が主体となり、ホモフォニックに歌を引き継ぎます。ディヴィジョンあり、最大7声+ソロ。

2、 烏賊採りの唄
神奈川県逗子市で歌われていた民謡で、イカ漁の仕事唄かと思えばそうではなく、実際には子守歌として歌われていました。日本各地の子守唄の多くがそうであるように、子守奉公に出された幼い少女が、つらい労働と奉公先での仕打ちに耐え、身の辛さを吐露する恨みの唄です。メゾまたはアルトソロによるホ短調の寂しげな旋律をなぞるように合唱がヴォカリーズを重ね、一種のエコーのような効果を生み出します。2節と4節ではト短調に転調して、やはり合唱がホモフォニーでソロに応えます。4~7声+ソロ。

3、 網伸し唄
茨城県沿岸地域で広く歌われていた仕事唄。漁の前後に大きな網を広げて締めあげるため、漁村の老若男女がこぞって浜に集まり、網の両端を声を合わせて引き合う際に歌われていましたが、その後花街でお座敷唄に転化して現在でも民謡歌謡として歌われています。「ヨーイのせヨーイヤのせ」の掛け声を力強く重ね、テノールまたはソプラノのソリストが「北海盆唄」に似た(おそらくルーツは同じ)旋律を明朗に歌い上げます。座敷唄よりは、元の仕事唄のパワフルさと喧騒、群衆感を克明に映し出した編曲となっています。基本は6声+ソロで、終結部では3声のソリも加わり最大10声。

マザーアース社からはこの曲の他に『北の譜』『山の譜』が出版されています。肥後氏の作品には男声合唱による民謡編曲や、サンスクリット語による無伴奏男声合唱曲『ヴァジュラ讃歌』といったものもありますが、残念ながら未出版のままです。なかなかに骨太で独創性あふれる作品なのでいつか出版されることを期待しております。
(佐藤拓)

佐藤 拓(さとう たく)

【筆者プロフィール】
佐藤 拓(さとう たく)
早稲田大学第一文学部卒業。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。World Youth Choir元日本代表。合唱指揮者、アンサンブル歌手、ソリストとして幅広く活動中。
Vocal ensemble 歌譜喜、The Cygnus Vocal Octet、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、日本ラトビア音楽協会合唱団「ガイスマ」、合唱団Baltu指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。
声楽を捻金正雄、大島博、森一夫、古楽を花井哲郎、特殊発声を徳久ウィリアムの各氏に師事。
(公式ウェブサイト https://contakus.com/