In Paradisum 楽園にて(ガリーナ・グリゴリェヴァ 作曲)/ 合唱のための「奄美の守姉(むいあに)のうた」(横山潤子 作曲)

世界の合唱作品紹介

海外で合唱指揮を学び活躍中の柳嶋耕太さん、谷郁さん、堅田優衣さん、市川恭道さん、山﨑志野さんの5人が数ある海外の合唱作品の中から、日本でまだあまり知られていない名曲を中心にご紹介していきます。
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●In Paradisum 楽園にて
作曲:Galina Grigorjeva(ガリーナ・グリゴリェヴァ)
声部:混声 2S 2A 2T 2B (8声)
男声 4T 4B (8声)
女声 4S 4A (8声)
伴奏:無伴奏
言語:なし
時間:4分

明るい夜は少しずつ短くなり、同時に夏の終わりを予感させる8月の終わり。私はこれから半年の交換留学として滞在するスウェーデンからバルト三国の合唱作品を紹介していきます。
今回はエストニア在住のウクライナ人作曲家のGalina Grigorjeva(ガリーナ・グリゴリェヴァ)の作品を紹介します。グリゴリェヴァはウクライナのクリミア半島に位置する都市シンフェローポリで生まれ、オデッサ音楽院で作曲を学んだ後にサンクトペテルブルク音楽院でユリ・ファリクより作曲を学びます。1991年以降、結婚をきっかけにエストニアへと移り、エストニア音楽院でレポ・スメラのもと作曲を学び、現在エストニアを拠点に、作曲家として活動をしています。グリゴリェヴァはオデッサとサンクトペテルブルク滞在中に、ロシア正教会への信仰をかため、正教会に関連する芸術作品にも関心を深めていきました。正教会の芸術と音楽の伝統は、彼女の作品にも大きな影響を与えています。
今回紹介する「In Paradisum」(楽園にて)は2013年のエストニアのタリンで開催された国際合唱フェスティバルの課題曲として、混声合唱、男声合唱、そして女声合唱のそれぞれ3つの編成で2012年に作曲されました。(今回は混声合唱団で以下紹介しています。)ラテン語によるローマカトリックのレクイエムのミサのテキストを用いていますが、作品は全体を通してビザンチン正教会の聖歌で伝統的に扱われるイソンというドローンが用いられています。
作品はソプラノ2によって詠唱のように作曲された旋律で始まります。同時に、その旋律の構成要素であるE、GそしてAの音でアルト、テナーが弱音のなかハミングでイソンとして維持して歌われます。この手法は作品を支配する要素であり、これらは天使に導かれた死後の楽園への道を描くように、神秘的な空間を描きます。
作品で用いられるリズムは、複合拍子、変拍子を用いて、歌詞から有機的に発生する詠唱のような旋律を支えます。ゆったりとしたテンポの中、非現実的な空間へといざなうような浮遊感を生みながら、これらの旋律が流れていきます。
単旋律ではじまった旋律は音楽が進むにつれ、同時に二つの異なる声部へと発展し、ポリフォニーで歌われ、それらは中間部のクライマックスに向けて、徐々に声部を増やし同じリズムへと収束し、劇的なクレッシェンドと共に豊かなホモフォニーへと展開します。「Chorus Angelorum te suscipiat」(天使の聖歌隊があなたに挨拶しますように)というテキストは詠唱のように流れる旋律と共に、ホモフォニーでロシア正教会の荘厳で堅固な響きの聖歌のように歌われます。このホモフォニーの動きの中で、ゴリゴリェヴァはテッシトゥーラを活かして異なった和音のコントラストをより鮮やかに描いていきます。
終盤では、Aマイナーのコードから徐々に全体のテッシトゥーラは拡大を見せ、作品の中でもっとも輝かしい瞬間を「Requiem」のテキストと共にEメイジャーの和音へと作品は収束します。
グリゴリェヴァはあるインタビューの中で、信仰している正教会については、彼女にとって生活様式であり、また、音楽を通して捉え、共有しようとしている真実がそこにはあり、宗教よりも大きな存在だと説明しています。彼女のこの私生活の根底にある哲学は、ロシア正教会の典礼では使用されないラテン語典礼テキストを正教会の音楽要素と融合させ、独自のテクスチャーを生み出しています。
この作品は混声、男声、女声それぞれの版の編成があり、エストニア音楽情報センターというページから楽譜を入手することができます。また、楽譜サンプルも参照でき、演奏も聴くことができるので、是非、聴いてみてください。(山﨑志野)

混声版:
https://www.emic.ee/?sisu=tootekataloog2&mid=147&kat=41&id=794&lang=eng&tid=794
男声版:
https://www.emic.ee/?sisu=tootekataloog2&mid=147&kat=41&id=794&lang=eng&tid=792
女声版:
https://www.emic.ee/?sisu=tootekataloog2&mid=147&kat=41&id=794&lang=eng&tid=793

山﨑 志野 (やまさき しの)

【筆者プロフィール】
山﨑 志野 (やまさき しの)
島根大学教育学部音楽教育専攻卒業後、2017年よりラトビアのヤーゼプス・ヴィートルス・ラトビア音楽院合唱指揮科で学ぶ。学士課程卒業後、現在、同校修士科合唱指揮科に在学中。2021年に開催された第2回国際合唱指揮者コンクールAEGIS CARMINIS(スロベニア)では総合第2位を受賞。合唱指揮を学ぶ傍ら、リガ市室内合唱団アベ・ソルの団員としても積極的に活動している。合唱指揮を松原千振、アンドリス・ヴェイスマニス各氏に師事。

 

日本の合唱作品紹介

新進気鋭の若手指揮者、佐藤拓さんと田中エミさんのお二人が、邦人合唱作品の中から新譜を中心におすすめの楽譜をピックアップして紹介します。

合唱のための「奄美の守姉(むいあに)のうた」

●無伴奏同声(女声)合唱のための「奄美の守姉(むいあに)のうた」
作曲:横山潤子
作詩:名瀬の子守歌
出版社:Pana Musica
価格:440円
声部:SSA div. + S soli
伴奏:無伴奏
時間:1分50秒
ISBN:9784866041810

こんにちは。佐藤拓です。
7月末に東京国際合唱コンクール(主催:東京国際合唱機構)が開催され、国内外の多数の合唱団が集って歌声をとどろかせました。私も自分の指揮する団体でシニア部門に出場しましたが、実はコンクールというものに指揮者として臨むのは初めて。想像以上の貴重な経験となりました。このコンクールでは、各カテゴリーの課題曲を現役で活躍中の邦人作曲家に委嘱し、コンクール本番でお披露目する新曲としていることが大きな特徴となっています。今年もすてきな作品がたくさん生まれましたが、今回はその中から横山潤子さんが作曲された児童合唱部門の課題曲「奄美の守姉のうた」を紹介します。

「守姉」(むいあに)とは聞きなじみの薄い言葉ですが、かつて奄美から沖縄・宮古・八重山までの南島諸島にあった子守の文化の総称です。地方によって「もりあね」「もりあに」などと読みは様々なようです。
「赤ん坊が生まれて一ヶ月ほどたつと、近所の女の子に『守姉』を頼んだ。頼まれた女の子は、よろこんで引き受け、そのあと守姉は、赤ん坊の家で家族同様の待遇を受け、夕飯をご馳走になったり、祭日には贈り物をもらったりするのが常であった。」
(『鹿児島沖縄のわらべ歌』 (日本わらべ歌全集26)より)
日本の子守唄というと、「五木の子守唄」に代表されるような、口減らしのために奉公に出されたり、出稼ぎ職人の子として慣れない土地に送り出されてしまった子供の、恨みや辛苦のにじむ哀切極まる唄を思い出すことでしょう。しかし、南島の子守唄にはそのような後ろ暗い湿り気はほとんどなく、地域コミュニティと家族制度とが分かちがたく溶け合った、平穏で慈しみ深い雰囲気に満ちています。
本曲に用いられているのは奄美大島・名瀬に伝わる子守唄で、奄美の方言で歌われます。
歌詞の中に「山ち捨てりゅんど 海ち捨てりゅんど」という言葉が出てきますが、これは赤子を脅す文句ではなく、「あなたを泣かすような人がいたら、そんな人は山や海に捨ててしまうよ(だから安心して)」という意味です。ここにも赤子を守ろうとする守姉の親心がにじみ出ています。

曲は大きく3つのセクションに分けられています。
第1部はG dur、ユニゾンで子守歌のメロディが歌われ、ソプラノ・ソリが口を閉じたハミングでカノンします。基本的にヨナ抜き5音音階なのですが、終わりの方に”シ”の音が経過音として現れます。
第2部はEs durに転調し、アルトがメロディを受け持ちます。メゾが対旋律を受け持ちますが、その音階は半音を含む琉球(沖縄)音階です。異なる音階によるポリフォニーを楽しみましょう。Ges durの経過部を経てB durに至った第3部は、ホモフォニックにハーモニーを聞かせるセクション。
時折現れる半音のぶつかりがきらめきのように美しく響きます。最後はB durの主和音に解決すると思わせて、As durナインスの転回形という意外な和音で終止します。

課題曲として作曲されていることもあり、転調やユニゾン→ポリフォニー→ホモフォニーというテクニカルな仕掛けは多いのですが、なにより元の旋律の美しさを際立てる素晴らしい編曲となっています。
横山さんはこれまでにも日本の民謡やわらべうたを題材とした作品をいくつか書かれていますが、いずれも素材の持ち味を生かし、シンプルで衒いがないのに印象深いものばかりです。こういった作品が国際コンクールの課題曲となって世界に知られていくのは本当に喜ばしいですね。(佐藤拓)

佐藤 拓(さとう たく)

【筆者プロフィール】
佐藤 拓(さとう たく)
早稲田大学第一文学部卒業。卒業後イタリアに渡りMaria G.Munari女史のもとで声楽を学ぶ。World Youth Choir元日本代表。合唱指揮者、アンサンブル歌手、ソリストとして幅広く活動中。
Vocal ensemble 歌譜喜、The Cygnus Vocal Octet 、Salicus Kammerchor、vocalconsort initium等のメンバー。東京稲門グリークラブ、日本ラトビア音楽協会合唱団「ガイスマ」、合唱団Baltu指揮者。常民一座ビッキンダーズ座長、特殊発声合唱団コエダイr.合唱団(Tenores de Tokyo)トレーナー。
声楽を捻金正雄、大島博、森一夫、古楽を花井哲郎、特殊発声を徳久ウィリアムの各氏に師事。
(公式ウェブサイト https://contakus.com/